中国の南端に位置する深圳(Shenzhen)は、わずか40年で小さな漁村から「中国のシリコンバレー」と称される世界的なハイテク都市へと成長しました。経済特区としての設立、製造業の発展、そしてイノベーション都市としての変貌には、多くの政策的支援と民間の企業精神が交差しています。本記事では、深圳がどのように成長していったのか、その経緯と要因、主要企業や産学連携のエコシステム、そして「深圳ドリーム」と呼ばれる挑戦と成長の象徴的な存在について紐解きます。他の都市が学ぶべき深圳の教訓とは?急成長する都市の未来を探ります。
1. 深圳の概要と発展の背景
1.1 深圳の概要
深圳(Shenzhen)は、中国広東省に属し、香港の北部に位置する自治体です。面積は約1,997㎢で、大阪府とほぼ同じ広さを持ちます。1979年に経済特区に指定されてから急速に発展を遂げ、今では中国のシリコンバレーと称されるテクノロジーとイノベーションの中心地となりました。人口は2022年時点で約1,766万人に達し、国内外からの若い労働力が集まるダイナミックな都市です。深圳はファーウェイやテンセントといった企業の本拠地であり、産業や経済の多様性が進展しています。
図1 深圳の位置
1.2 経済特区としての始まり
深圳(Shenzhen)は、今や北京中関村とともに「中国のシリコンバレー」として世界的に注目される都市ですが、40年前は小さな漁村にすぎませんでした。転機となったのは、1979年の「経済特区」指定です。当時、中国は改革開放政策を掲げ、経済の近代化と国際化を目指していました。中国政府は、香港に隣接する深圳をこの政策の実験場として位置づけ、経済特区に指定することで、外国からの直接投資を呼び込み、技術移転を促進することを目指しました。
中国は長らく社会主義の計画経済を採用していましたが、深圳を通じて市場経済の仕組みを試験的に導入し、経済改革を進めていく方針を採りました。この特区制度には、外国企業にとってビジネスのしやすい税制優遇措置、資金や資材の輸出入の簡略化といった多くの優遇政策が含まれていました。結果として、深圳は中国の国境を越えて多国籍企業が集まる「ゲートウェイ」となり、香港などからの投資や技術も流入し、急速な発展を遂げる土台が整えられたのです。
特に注目すべきは、この政策が「トップダウン」としてだけでなく、民間のイニシアティブも重要視されていたことです。深圳では、新しいビジネスやテクノロジーが自由に試され、多くの企業が積極的に参入しました。この自由度が深圳の大きな成長の鍵となり、深圳は市場原理が持つ力を十分に活かすことに成功したのです。現在、深圳の成長は他の中国の経済特区にも影響を与え、中国全体の経済発展の方向性を示すモデルケースとなっています。
1.3 急速な都市化と人口増加
経済特区の設立に伴い、深圳には大規模な人口移動が始まりました。1980年当時、深圳の人口はわずか3万人程度でしたが、20年後の2000年には700万人に達し、現在は1700万人以上に急増しています。深圳への移住は、特に若年層に多く、仕事と成功を求めて国内各地から人々が集まってきたのです。
こうした人口の急増は、深圳を「深圳ドリーム」の象徴的な都市に押し上げる要因となりました。「来了就是深圳人(来たらあなたはもう深圳人)」というスローガンが広まったように、深圳は誰もが一からスタートし、自分の力で夢を叶えることができる場所としての魅力を持っています。広東省は通常広東語を話す地域ですが、深圳は中国全土から移住者が来たため、中国の共通語である北京語を話す地域となりました。
人口増加に対応するため、深圳はインフラの整備にも注力しました。交通網の整備がその一例です。深圳は地下鉄網や新幹線、高速道路の建設を急速に進め、経済活動を支える物理的な基盤を強化しました。特に、香港との国境を接する地理的特性を活かし、両都市間の行き来が円滑になるようなインフラも充実させています。また、経済特区内の工業団地やビジネスパークの整備も進み、企業が活動しやすい環境が整えられました。こうした物理的な基盤の整備は、産業の多様化を後押しし、現在のテクノロジー産業の発展にもつながっています。
また、深圳は住民にとっても非常に住みやすい都市へと進化を遂げました。都市化の進展と共に、医療施設や教育機関、文化施設も整備され、都市全体の生活環境が大きく向上しました。政府は高層ビルの建設を推進し、住宅地の提供を増やすことで、急増する人口に対応しました。この結果、深圳はビジネス環境だけでなく、生活環境としても魅力的な都市となり、人々が長期的に定住する要因にもなっています。
2. 主要産業と経済構造の変遷
2.1 製造業の成長と集積
深圳の成長は、製造業の拠点としての役割から始まりました。経済特区に指定されてから、深圳は外国企業や国内企業を誘致し、電子機器や通信機器などの製造業が集積する場となりました。特に80年代から90年代にかけて、深圳は「世界の工場」としての地位を築き上げ、多くの工業製品がここで生産され、輸出されるようになりました。深圳の地理的優位性も、製造業の発展に大きく寄与しました。香港に隣接しているため、輸出入がスムーズで、外国企業が香港を通じて深圳にアクセスしやすく、深圳がグローバルな生産基地として成長する土台が整いました。
通信機器メーカーのファーウェイ(Huawei)やZTEなどがこの地で生まれ、成長を遂げたのもこの製造業の成長期です。ファーウェイは通信機器の製造を主とし、ZTEもまた通信インフラの分野でグローバルな影響力を持つ企業に成長しました。製造業が産業の中核を担っていた深圳では、多くの人々が製造現場で働き、実際の製品開発や生産プロセスに関わることで技術力が培われました。さらに、深圳の製造業は、単に部品を組み立てるだけでなく、研究開発(R&D)にも力を入れ、オリジナルの技術や製品を生み出す力を持つようになったのです。
また、深圳は小さな部品から完成品まで多様な製品が生産される「垂直統合型」のサプライチェーンを形成しました。これは、製品の試作やプロトタイピングを短期間で行うことができるという強みとなり、急速な製品開発と市場投入が可能となりました。このような効率的な生産システムは、特にテクノロジー企業にとって重要な要素であり、深圳をハードウェア産業の中心地に押し上げる原動力となりました。
2.2 経済構造の多様化とサービス業の発展
製造業の急成長を経て、深圳は次の段階に移行しました。それは、経済構造の多様化です。2000年代に入ると、深圳は単に安い人件費をあてにした労働集約的な製造業の集積地から、ITやハイテク産業の拠点へと変貌を遂げます。ファーウェイやZTEに続き、BYD(電動車メーカー)やDJI(ドローンメーカー)などの企業も次々と誕生し、深圳の産業は製造業から高度なテクノロジーを駆使する分野に拡大しました。これらの企業は、従来の製造工程に留まらず、サービスやソフトウェア、データ管理など多岐にわたる業務を手掛けるようになり、深圳の産業構造は一層複雑で多様なものとなりました。
この経済多様化において特に重要なのが、IT、バイオテクノロジー、金融業といった新しい産業の台頭です。IT産業では、テンセント(Tencent)が深圳で設立され、メッセージングアプリのWeChat(微信)やオンライン決済サービスを通じて、世界的なプラットフォーム企業へと成長を遂げました。テンセントは単にサービスを提供する企業にとどまらず、スタートアップ企業への出資を通じて地域全体のイノベーションを推進する役割も果たしています。テンセントのような企業の存在は、深圳を「デジタル都市」へと変える重要な要素となっています。
また、バイオテクノロジー産業も成長しつつあります。深圳にはバイオインキュベーターや研究施設が整備され、遺伝子工学や新薬開発、医療技術などに取り組む企業が増えています。これにより、深圳はバイオテクノロジー分野においても国際的な競争力を持つ都市へと発展しています。
一方で、金融業の発展も見逃せません。深圳は中国における金融改革の先駆者であり、1990年には深圳証券取引所が設置されたことから、多くの企業が資金調達を行いやすくなり、地域の経済活性化に繋がっています。深圳には多くのベンチャーキャピタルや投資ファンドも拠点を置き、スタートアップ支援が活発に行われており、これが新興企業の成長を支え、産業の多様化を後押ししています。また、中国最大の保険金融グループの平安保険は1988年に深圳で創業し、本社が立地しています。
3. 深圳のイノベーションエコシステム
3.1 政府の支援とイノベーションの推進
深圳のイノベーションを支える重要な要素の一つが、中国政府による積極的な支援策と産業政策です。政府は深圳をテクノロジー産業の中心地として育成するため、さまざまな支援策や政策を打ち出しました。その一例が政府の「騰籠換鳥(古い鳥籠を開けて新しい鳥を入れる)」政策です。これは、深圳を労働集約型産業から高度な技術集約型産業へと転換することを目指すもので、低コストでの大量生産を主軸としていた従来の産業構造を見直し、テクノロジーやイノベーションを生み出す産業への転換を推進しました。
また、2014年には「大衆創業、万衆創新(みんなで起業し、みんなでイノベーションを起こそう)」というスローガンのもと、創業やイノベーションに向けた大規模な支援キャンペーンが始まりました。政府はスタートアップ企業や中小企業の創業を促すため、資金援助や税制優遇、知的財産権保護の強化などの手厚いサポートを行っています。このキャンペーンのもと、深圳には起業を目指す若者や技術者が全国から集まり、スタートアップエコシステムが急速に発展しました。
こうした政府のサポート体制は、単に経済的な利益を目指すだけでなく、深圳を新しいビジネスやアイデアが生まれる「創造の場」としての役割を果たすことを可能にしました。政府主導で行われた産業政策は深圳の成長に不可欠な土台を提供し、現在もイノベーションの推進力として機能しています。
3.2 地域のイノベーションエコシステムの特徴
深圳のイノベーションエコシステムは、大学や研究機関、企業が密接に連携する点で大きな特徴があります。深圳には、深圳大学、南方科技大学や清華大学深圳研究院といった教育機関があり、これらの大学は地域企業と連携しながら研究開発を進め、テクノロジーや新たな産業分野での革新を推進しています。こうした産学連携の取り組みは、深圳における高度な人材育成と技術の応用に大きく貢献しています。
また、深圳には「深圳ハイテク産業園区」や「深圳湾創新科技園」などのテクノロジーパークが設置されており、スタートアップや研究機関が集まる場所となっています。これらのテクノロジーパークは、起業家や技術者にオフィススペースや資金調達のサポート、ネットワーキングの機会を提供し、深圳のイノベーション活動を支えるインフラの役割を果たしています。深圳のテクノロジーパークには、ファーウェイやテンセントといった大企業も拠点を構え、地域の中小企業やスタートアップと連携することで、より多くのイノベーションが生まれる環境が整っています。
さらに、深圳は「スマートシティ」の構築にも力を入れており、IoT(モノのインターネット)やビッグデータ、AI(人工知能)といったテクノロジーを都市運営に活用しています。こうした都市全体のデジタルインフラが整うことで、テクノロジーの実証実験や新しいアイデアのテストが行いやすくなり、革新的な技術やサービスが現実の都市生活で活用されやすくなっています。このリビングラボとしての都市の姿が、深圳のイノベーションエコシステムを一層強化しているのです。
3.3 深圳の知的財産権に対する3つの層
中国のイノベーションエコシステムには、知的財産権(IP)に対するユニークな「3つの層構造」が存在します(梶谷2018)。この構造は深圳にも当てはまり、深圳の急速な成長を支えてきた異なるアプローチが共存していることを象徴しています。
最初の層は「プレモダン層」と呼ばれ、知的財産権の概念が薄く、模倣やコピーを迅速に行って市場に出すことが重視される段階です。深圳の初期成長期には、このプレモダン層に属する企業が多く、既存の製品を模倣してコストを抑え、市場に迅速に投入することで急成長を遂げました。この時期には「山寨(シャンツァイ)」と呼ばれる模倣製品が大量に出回り、深圳はコスト削減とスピードを武器にした製造業のハブとして成長しました。
次に、知的財産権が重視される「モダン層」に移行します。ファーウェイやZTEのような企業が代表例で、独自の研究開発を行い、特許を取得して技術を保護することで、競争優位を確立しています。この段階では、企業が技術の保護に注力し、特許の取得や国際市場への展開を積極的に行うようになり、深圳の製造業が模倣から独自開発へと変革を遂げました。現在、深圳の企業群は中国の国際特許の出願件数の約50%を占めています。
最後の層が「ポストモダン層」と呼ばれるもので、ここではオープンイノベーションの考え方が広まっています。深圳には、メイカーズ・ムーブメントと呼ばれるDIY文化が根付いており、個人の開発者やスタートアップが協力し合い、技術やアイデアを共有する姿勢が見られます。例えば、ドローンメーカーのDJIは、製品や技術を開発コミュニティと共有し、フィードバックを活かして製品改良を行っています。このように、オープンな技術共有が行われるポストモダン層では、企業が互いに技術を共有し、相乗効果を生み出すことで、イノベーションが加速しています。
4. 深圳を支える主要企業
4.1 深圳発の企業とその成長
深圳は、世界に名だたるテクノロジー企業の数々を育んできた都市です。その代表例が、テンセント(Tencent)、ファーウェイ(Huawei)、ZTE、DJI、BYDといった企業たちです。これらの企業は、それぞれ異なる分野で成長を遂げ、深圳のみならず中国全体の産業発展に貢献してきました。
まず、テンセントは1998年に深圳で設立され、瞬く間に中国のIT業界で中心的存在となりました。WeChat(微信)やQQといったSNSやメッセージングアプリを通じて、多くのユーザーを抱え、デジタル決済のWeChat Payやエンターテインメント事業にも進出することで事業を拡大しています。
テンセントは、中国国内でのデジタル決済やオンラインエンターテインメントの市場を先駆ける形で、スマートフォン決済を一般化させました。WeChat Payは中国だけでなく、アジア各国でも利用可能であり、テンセントの影響力は年々増しています。
また、テンセントはゲーム業界でも世界中のスタジオに出資し、エンターテインメント市場においても圧倒的なシェアを誇っています。テンセントはその後もクラウドサービス、AIの分野へと事業を広げ、アジアを代表するIT企業としての地位を確立しました。
通信機器メーカーのファーウェイは1987年に設立され、主に通信インフラやモバイルデバイスの開発で大きな影響を及ぼしています。ファーウェイの成長は、最先端の5G技術への投資を含め、世界的な通信インフラの整備をリードしており、スマートフォン市場でもAppleやSamsungと肩を並べるほどの影響力を持つようになりました。ファーウェイは5G対応スマートフォンやネットワーク機器を次々と市場に投入し、技術力と生産力の高さを示しています。このような先端技術への投資により、ファーウェイは世界の通信インフラ市場において欠かせない存在となっています。
近年では米中対立の影響が直撃し、最先端半導体製造技術やソフトウェアから締め出されましたが、2024年には最先端半導体を使用したスマートフォンの開発に成功しました。
ZTEも深圳に本社を構え、通信機器とネットワーク技術の開発で重要な役割を果たしています。特に、ZTEは中国初の「通信装置メーカー」として知られており、政府と連携しながら通信インフラの発展に貢献しています。
また、DJIはドローンの開発と製造に特化した企業で、特に民生用ドローンの分野で圧倒的なシェアを持っています。2006年の創業以来、DJIは技術革新とデザインの両面で業界をリードし、現在は、空撮用ドローンはもちろん、産業用ドローンの開発にも力を入れており、農業や建設、警備、救助活動など多岐にわたる分野での活用が進んでいます。これにより、DJIは単なる製造業者に留まらず、ドローンを通じて世界中の産業構造そのものを変革する役割を果たしています。
さらに、BYDは電動自動車(EV)やバッテリーの分野で中国を代表する企業です。1995年に設立されたBYDは、もともとバッテリーの生産を行っていましたが、その後、EV開発に注力し、今では電動バスや電動トラックといった製品でグローバル市場を席巻しています。特に中国政府が電動車の普及を推進する政策を採用していることもあり、BYDは国内外での市場シェアを拡大し、電気自動車の販売台数は世界で1位、2位を争うほどに成長しました。BYDの成長は、深圳がエコ都市として発展するための一環としての意義も大きく、公共交通システムに電動バスを導入するなど、環境負荷を軽減する取り組みを先導しています。
4.2 深圳の大学と企業の協力関係
深圳がこうした企業を生み出し、支えている背景には、地域の大学や研究機関との連携が欠かせません。
深圳大学は1983年に創立された総合大学です。深圳大学は地域産業との連携を重視しており、企業との共同研究やインターンシップなど、実務に直結する学習機会を学生に提供しています。こうした取り組みを通じて、深圳は高度なスキルを持つ人材を継続的に輩出し、企業の技術開発やイノベーションを支える基盤を強化しています。テンセントは主に深圳大学の卒業生が中心となって創業されました。
深圳には他に、2011年に南方科技大学、2019年に深圳技術大学が創設されました。1996年に創設された清華大学深圳研究院は、北京の清華大学が深圳市と共同で設立した大学院教育機関であり、地域企業との研究開発を推進し、人材育成に貢献しています。ここでは、特にITやバイオテクノロジー、環境技術などの先端分野において、企業と大学が共同で研究を行い、起業も積極的に支援しています。
このほかに、中国の他の地方にあるハルビン大学、香港中文大学、中山大学、中国科学技術大学は深圳での学部生の教育を行っていると同時に、地域の産業界と密接に連携しています。
このように、大学と企業の協力関係は、深圳におけるイノベーションエコシステムの中核を成しており、技術革新の推進力となっています。教育機関と企業が共に歩むことで、理論的な知識と実際の技術が結びつき、深圳が持続的に成長するためのエネルギーが生まれているのです。
5. 深圳の「深圳ドリーム」と開放的な文化
5.1 「深圳ドリーム」の成り立ちと意義
深圳(Shenzhen)は、中国国内外から多くの人々が集まり、夢を追求する「深圳ドリーム」を象徴する都市です。この都市の急成長とともに生まれたスローガン「来了就是深圳人(来たらあなたはもう深圳人)」は、深圳が持つ包摂的な文化を表現しています。この言葉は、出身地や背景にかかわらず、深圳に足を踏み入れた瞬間から誰もが深圳の一員として迎え入れられるという考え方を示しており、新たなスタートを切りたい人々に大きな安心感と希望を与えてきました。
深圳は40年前まで小さな漁村でしたが、1979年に経済特区に指定されて以来、改革開放政策の一環として発展してきました。この政策により、深圳には中国中から野心や夢を持つ若者たちが集まり、自由な発想と行動力で新しいビジネスを起こしてきたのです。深圳の社会には既存のしがらみや権威主義が少なく、自己の努力と才能を発揮できる場が多く存在します。中国各地から才能あふれる若者が集まり、多様なバックグラウンドを持つ人々が共に働き、競い合う場となっています。深圳では、出身地や過去の経歴が問われず、努力と才能さえあれば成功できるとされています。そのため、深圳は「夢を持つ人が集う都市」として、単なる経済の中心地を超えた特別な地位を持つようになりました。
「深圳ドリーム」は、単なる経済的な成功だけではなく、個人の挑戦や成長、そして新しい価値観の受け入れを象徴する概念です。深圳の包摂的な文化は、夢や目標を持った人々が自分の能力を発揮しやすい環境を提供し、革新と成長を生み出す基盤となっています。こうした自由で開かれた文化が、深圳の発展を加速させた大きな要因といえるでしょう。
5.2 若者を惹きつけるチャンスの地
また、深圳には独特のビジネス文化が根付いており、失敗しても再挑戦が許容される寛容さがあるため、リスクを取って新しいことに挑戦する気風が生まれました。この寛容さは、スタートアップやベンチャー企業の成長を促進し、リスクを恐れず革新を追求する精神を育んでいます。深圳では、企業だけでなく政府も起業家精神を奨励しており、創業支援や技術革新に向けたインセンティブを提供することで、若い企業家が次々とビジネスを立ち上げ、成長できる環境を整えています。
深圳に集まる人材は、エンジニアやクリエイター、デザイナーといった職種にとどまらず、営業やマーケティング、マネジメントなど多岐にわたります。この多様な人材が共存し、さまざまな視点やアイデアを持ち寄ることで、イノベーションの促進に繋がっています。こうしたダイナミックな労働力が深圳の経済成長と産業の多様化を支えており、深圳はますます「可能性に満ちた都市」としての魅力を増しています。
5.3 メイカーズ・ムーブメントとハードウェア・スタートアップ
深圳のもう一つの特徴的な文化が、メイカーズ・ムーブメントです。メイカーズ・ムーブメントは、自らの手で製品を開発・製造しようとするDIY精神を重視するもので、深圳はその中心地として世界中の技術者やクリエイターに注目されています。深圳には、プロトタイピングから量産化までのプロセスを低コストで迅速に実現できる環境が整っており、電子部品の製造やハードウェアの開発がスムーズに行える「ハードウェアの楽園」として知られています。
深圳のメイカーズ・ムーブメントを支えるのが、市内に点在するエレクトロニクス市場やメーカーズスペース、そして充実したサプライチェーンです。特に華強北(Huaqiangbei)というエリアは、電子部品を扱う市場が数多く立ち並び、必要な部品がすぐに手に入るため、製品の開発スピードが格段に向上します。深圳では、アイデアがあればプロトタイプを迅速に作成し、マーケットに投入するというスピード感が生まれ、革新的な製品が次々と誕生しています。
こうした環境は、ハードウェア・スタートアップにとって理想的なものです。例えば、DJI(ドローンメーカー)やAnker(充電機器メーカー)といった企業は、深圳の豊富なリソースを活用して急成長を遂げた代表例です。彼らは深圳のエコシステムに支えられ、アイデアを実現し、市場に展開することができました。深圳のメイカーズ・ムーブメントは、こうした起業家精神を育み、新しいプロダクトを生み出す源泉として機能しています。
さらに、深圳はオープンイノベーションの拠点としても評価されています。深圳のスタートアップや技術者たちは、互いにアイデアや技術を共有し、協力し合うことで、製品開発のスピードを加速させています。オープンイノベーションの文化は、競争と協力が共存する中で発展し、深圳を新しい発想やビジネスが生まれる「クリエイティブな都市」にしています。
図2 深圳におけるインキュベーション施設
6.深圳成長の要因
深圳は1979年の改革開放以来、急速に成長しました。以下に6つの成長要因について見ていきます。
6.1. 政策的支援と経済特区の役割
深圳の発展は、1979年に「経済特区」として指定されたことが大きな転機となりました。当時、中国政府は改革開放政策の一環として、市場経済の導入と試験的な実践を進める方針を掲げ、深圳をそのモデル都市としました。経済特区としての深圳には、税制優遇や関税免除、外資導入のための規制緩和が行われ、外国企業にとってビジネスのしやすい環境が整備されました。これにより、深圳は中国国内で唯一、自由な市場経済が試行される場所となり、国内外から企業が集まりました。
さらに、インフラ整備にも注力し、輸出入のハブとしての役割を果たすべく交通網や物流施設が急速に拡充されました。また、政府の支援により土地使用やビジネス手続きも柔軟に対応され、ビジネス環境が大幅に改善されました。隣接する香港との結びつきも強化され、貿易や投資が活発に行われ、深圳は急速に成長を遂げたのです。深圳の経済特区としての成功は、その後、他の都市でも導入される政策モデルとなり、中国全体の経済発展を牽引する重要な役割を果たしました。
6.2. 香港・台湾・日本からの投資と技術の流入
深圳の発展には、香港、台湾、日本からの投資と技術の流入が大きく寄与しました。隣接する香港は、資本と技術力の供給元として深圳に深い影響を与えました。
1980年代から90年代にかけて、香港からの投資が深圳に集中し、まず香港企業が深圳に製造拠点を構えることで、深圳は香港のサプライチェーンを支える重要な役割を果たしました。また、鴻海などの台湾企業は深圳に電子部品や半導体の製造技術を持ち込み、深圳の電子機器産業を支える基盤を築きました。三洋電機や日立などの日本企業も生産拠点を深圳に移し、精密製造技術や品質管理のノウハウを導入し、深圳の製造業が国際的な競争力を持つようになりました。
こうした地域からの投資と技術の流入は、深圳の製造業を高度化させ、国際的な競争力を持つ産業クラスターとして発展する大きな支えとなりました。これにより、深圳は単なる低コストの生産地を超え、技術革新や製品開発が行われる都市として成長しました。
6.3. 製造業とサプライチェーンの形成
経済特区の指定を受けた深圳は、製造業の一大拠点として成長しました。特に電子機器の生産が急増し、部品の調達から組み立て、出荷までを一貫して行う垂直統合型サプライチェーンが形成されました。この効率的な生産システムにより、深圳は短期間での試作や迅速な量産が可能になり、特にハードウェア産業での競争力を高める結果となりました。
深圳の地理的な利点も大きく、香港に隣接することで資材調達と輸出入がスムーズに行われ、多国籍企業が深圳を製造拠点に選ぶ理由の一つとなりました。また、深圳のサプライチェーンは電子部品メーカーから最終組み立て工場までが密接に連携し、コストの削減と生産スピードの向上に寄与しています。さらに、香港や台湾、日本からの技術導入が深圳の製造業の基盤を強化し、深圳は「世界の工場」としての地位を確立しました。このサプライチェーンの形成により、深圳は単なる生産拠点に留まらず、製品開発や技術革新の場としても成長を遂げたのです。
図3 深圳・華強北における電子部品市場
6.4. イノベーションエコシステムとスタートアップエコシステム
深圳は、活発なイノベーションエコシステムとスタートアップエコシステムの構築に成功し、技術革新の拠点として成長しました。政府は「大衆創業、万衆創新」のスローガンのもと、起業支援や技術革新を強力に推進しました。また、深圳大学、南方科技大学、深圳技術大学などの教育・研究機関が地元企業と密接に連携し、地域での人材育成と技術供給が促進されています。
深圳にはテクノロジーパークやインキュベーターが整備され、スタートアップや中小企業が集まる環境が整い、彼らの成長を支える基盤が形成されました。さらに、IoTやAI、ビッグデータといった最先端技術が試験的に導入され、深圳は「スマートシティ」としても発展を遂げています。これにより、深圳は常に新しいビジネスや技術が生まれる「創造の場」として、中国のシリコンバレーとも称される革新の中心地へと進化しました。
6.5. 開放的文化と「深圳ドリーム」
深圳は「来了就是深圳人(来たらあなたはもう深圳人)」というスローガンに象徴される包摂的で開放的な文化を持っています。このスローガンは、出身地や経歴を問わず、深圳に来た人はすぐに地域社会の一員として迎え入れられることを意味し、多くの若者や起業家を引き寄せました。深圳は、出身や経歴にかかわらず能力と努力さえあれば成功できる場所として知られ、リスクを恐れず挑戦する風土が根付いています。
また、深圳にはメイカーズ・ムーブメントやDIY精神が広がっており、特にハードウェアスタートアップが数多く誕生しています。技術やアイデアを共有し合うオープンイノベーション文化が醸成され、協力と競争が共存する中で革新が絶えず生まれる環境が整っています。この自由な文化は、深圳を「深圳ドリーム」の象徴とし、夢を持つ人々が成長できる都市として発展を支える重要な要因となっています。
7. 深圳の未来と持続可能な成長
過去40年間、急速に発展してきた深圳ですが、今後に課題がないわけではありません。今後の深圳成長のための課題について見ていきます。
7.1 高付加価値産業への転換
深圳はここ数十年で急成長を遂げましたが、次のステップとして、高付加価値産業へのシフトが求められています。これまでの深圳は、労働集約型の製造業に支えられてきましたが、経済成長に伴い人件費が上昇し、安価な労働力を求める企業が他地域に移転する動きが見られます。この状況を受け、深圳は製造業から技術資本集約型の産業へと転換しようとしています。
高付加価値産業への転換とは、単に「もの」を生産するだけでなく、技術力や知識を活かして製品やサービスに価値を付加することを意味します。例えば、ファーウェイの5G技術開発や、BYDによる電動車の生産は高度な技術と設備を必要とし、高い利益率が見込まれる分野です。
こうした産業へのシフトにより、深圳は低コストの製造拠点から技術と革新で勝負する都市へと変貌を遂げつつあります。さらに、深圳は国内市場だけでなく、国際市場でも競争力を高めることを目指し、積極的に海外市場へ進出し、世界経済における存在感を高めています。
7.2 米中対立の影響と深圳の挑戦
しかし、深圳の未来に大きな影響を与えているのが、米中対立の激化です。深圳に拠点を置くファーウェイやテンセントといった企業は、米国の輸出規制や制裁の対象となり、半導体や先端技術の供給に影響を受けています。特に、ファーウェイは5Gインフラ構築において米国政府から制裁を受けており、技術供給の制限が深圳の高付加価値産業の発展にとって大きなリスクとなっています。米中対立は深圳企業が世界市場での競争力を維持するために、新たな技術の自給自足体制を整える必要性を示しています。深圳は独自の技術と部品を開発し、供給網を多角化することでリスク分散を図るとともに、他国との協力関係を強化することで、国際競争力を保とうとしています。
7.3 環境への配慮と持続可能な都市設計
深圳が真の世界的イノベーション都市となるためには、環境への配慮も不可欠です。急速な都市化と経済成長に伴い、深圳も他の大都市と同様に環境問題に直面しています。大気汚染や廃棄物の増加、エネルギー消費量の増大などが課題であり、持続可能な成長を目指すためには環境負荷の低減が必要です。深圳は電動バスの導入や公共交通機関の電動化を進めており、バスの電動化によりCO₂排出量が大幅に削減されました。また、電動車普及とともに再生可能エネルギーの利用を推進し、都市全体が環境に配慮したエネルギーで運営されることを目指しています。これらの環境対策を強化することで、深圳はエコフレンドリーな都市としての評価を高めています。
7.4 スマートシティと持続可能なインフラ
深圳の未来には、スマートシティ化と持続可能なインフラの整備が不可欠です。急成長を遂げた深圳では都市基盤が急速に老朽化し、新たなインフラの整備が急務となっています。深圳はIoT、ビッグデータ、AIを活用して交通の最適化やエネルギー効率の向上を図り、スマートにインフラを管理するプロジェクトを推進しています。これにより、インフラの長期的な持続可能性を確保し、効率的な都市運営が可能になります。インフラのデジタル化は、深圳が世界的なイノベーション都市としての競争力を維持し、人々が便利で快適に生活できる環境を提供するためにも重要です。
7.5 人材の引きつけと多様な都市文化の発展
地域の競争力を維持するためには、単に経済成長を追求するだけでなく、都市としての魅力を高め、優秀な人材を引き寄せ続けることが重要です。深圳は、クリエイティブな人材や起業家精神を持つ人々が集まる「オープンな都市」を目指し、文化施設や公園、教育機関の充実にも注力しています。また、深圳の産業政策も若い世代の起業を支援し、多様な働き方や生活スタイルを受け入れることで、長期的な成功と持続可能な発展を目指しています。深圳は新たな挑戦を恐れない人々が集う「深圳ドリーム」の象徴であり続けるため、魅力ある都市環境を構築し続けることが求められています。
まとめ
深圳は、1979年の経済特区としての始まりから、今や中国のシリコンバレーと称される世界的なイノベーション拠点へと成長しました。深圳の発展は、製造業の集積、経済構造の多様化、政府の支援策、企業と大学の連携、そして「深圳ドリーム」に象徴される開放的な文化に支えられています。
また、深圳のメイカーズ・ムーブメントやDIY精神により、ハードウェア・スタートアップが成長し、オープンイノベーションの文化が浸透しました。
今後、深圳は高付加価値産業へのシフトを進め、米中対立や環境問題に向き合いながらも、スマートシティ化と持続可能なインフラの整備に力を入れることで、さらなる成長が期待されます。深圳は挑戦する若者や起業家を惹きつけ続ける都市として、多様性と革新を象徴し続けるでしょう。
参考文献
藤岡淳一(2017)『ハードウェアのシリコンバレー深圳に学ぶ』インプレスR&D
呉暁波(2019)『テンセント 知られざる中国デジタル革命トップランナーの全貌』プレジデント社
高須 正和, 高口 康太(2020)『プロトタイプシティ 深圳と世界的イノベーション』KADOKAWA
中川有紀子(2020)『日本版シリコンバレー創出に向けて―深圳から学ぶエコシステム型イノベーション』ナカニシヤ出版
付録 北京中関村と深圳の比較
北京中関村と深圳は、中国を代表する二大イノベーション都市として「中国のシリコンバレー」と言われておりますが、異なる発展モデルを示しています。
北京中関村は1988年に国家ハイテク産業開発区として指定され、政府主導の国家プロジェクトとして発展してきました。北京大学や清華大学などの一流研究機関が近接し、産学官連携を基盤とした技術開発の中心地となっています。IT、AI、バイオテクノロジー分野が中心で、レノボやバイテク、シャオミといった技術革新企業が拠点を置いています。
一方、深圳は1979年に経済特区に指定され、市場経済の実験場として発展してきました。香港に隣接する地理的優位性を活かし、外国資本や技術を積極的に導入。製造業からスタートし、IT、通信技術、電動車産業へと転換を遂げ、テンセント、ファーウェイ、ZTE、DJI、BYDなどの世界的企業を生み出しています。
両都市の特徴的な違いは、イノベーションの推進方法にあります。北京中関村が政府主導と産学連携を中核とし、計画的なイノベーションを特徴とするのに対し、深圳は企業主導のエコシステムと起業家精神を重視しています。「来了就是深圳人(来たらすぐに深圳人)」というスローガンに代表される包括的な文化も特徴です。それぞれが中国のイノベーションと経済成長を支える異なる特徴を持っています。
今後の課題として、両都市とも米中対立によるサプライチェーンや人材交流の断絶が懸念材料です。また、北京中関村は政策支援依存からの脱却と国際競争力の維持、深圳は環境問題やインフラ老朽化への対応が挙げられます。持続可能な成長に向けて、北京中関村は高度技術分野の長期的な発展を、深圳は技術集約型産業へのシフトと環境対応による成長を目指しています。
両都市は異なるアプローチで成功を収めており、北京中関村と深圳のイノベーションエコシステムは他都市に示す参考事例となっています。
表 北京中関村と深圳の比較