浜松市の産業の進化:起業家精神からイノベーションエコシステムへ

工業

浜松市は、ヤマハやホンダ、スズキを生み出した起業家精神の地から、テクノポリス構想、産業クラスターの形成を経て、今や最先端の地域イノベーションハブへと進化を遂げています。本記事では、この地方都市が世界的な製造業の拠点となり、さらにデジタル時代のスマートシティへと変貌を遂げようとしている軌跡を探ります。技術革新と地域の強みが融合する浜松市の過去、現在、そして未来の姿を、具体例を交えてご紹介します。地域経済の持続可能な発展のモデルケースとして注目される浜松市の挑戦から、日本の地方創生のヒントが見えてくるかもしれません。

1. はじめに

1)産業発展の歴史的背景

静岡県浜松市は豊かな自然環境と産業が調和する地域です。浜松市の産業は長い歴史を持ち、その発展は地域経済に大きな影響を与えてきました。特に戦後の高度経済成長期以降、浜松は日本の製造業の重要な拠点として成長し、多くの革新企業を輩出しました。

浜松市の発展は、その地理的条件と豊かな資源を背景に、古くから繊維産業が盛んな地域であり、19世紀末から工業化が進展してきました。天竜川流域は豊富な木材資源を活かした木材加工業が発展し、特に天竜杉などが家具や建築材として利用され、地域経済を支えました。また、鉄道院(のちの国鉄)の大規模な鉄道工場が設置されたことで、多くの技術者が育成され、後の自動車産業オートバイ産業の発展に寄与しました。この技術力の蓄積が、戦後の製造業集積の基盤となり、浜松市を日本の主要な工業都市に押し上げました。

2)産業構造の変化

戦後、浜松は製造業、特に輸送機器産業の発展に大きく貢献しました。1950年代、スズキ(鈴木自動車工業)が軽自動車の製造を開始し、ホンダも創業地であり本社は東京に移転したが、現在もトランスミッションを製造するなど、浜松は自動車・オートバイ産業の重要な拠点となりました。これにより、浜松は「モビリティ産業都市」としての地位を確立しました。

1980年代から1990年代にかけて、浜松の産業はさらに高度化し、電子部品や精密機器の分野でも発展を遂げました。この時期、産学官連携の下で「テクノポリス」計画が進行し、技術革新を支える研究機関や企業が集積する環境が整いました。浜松市は、新たな産業クラスターを形成し、製造業を中心とした地域経済の中核を担うようになりました

2. 起業家精神:浜松の産業発展の原動力

1)創業者精神が根付く企業文化

浜松の起業家精神の象徴となるのは、ヤマハ、ホンダ、スズキといった企業の創業者たちの活動です。例えば、1887年に創業されたヤマハは、創業者の山葉寅楠が壊れたオルガンを修理したことから始まり、その後、日本の楽器産業の発展に寄与しました。ヤマハは単なる楽器製造にとどまらず、現在では世界有数の総合音響機器メーカーとして知られています。ヤマハや河合楽器は、浜松を拠点にピアノやオルガンの製造で世界的な名声を築き、浜松を「音楽の街」として発展させる原動力となりました。ヤマハは、オートバイ産業にも進出し、製造技術を楽器とオートバイの両分野で発展させてきました。

ホンダの創業者である本田宗一郎は、1946年の戦後の困難な時期にオートバイの生産を開始し、1950年代には自動車産業に参入しました。彼の「失敗を恐れない」挑戦的な精神は、今日のホンダを世界的な自動車メーカーへと成長させた要因の一つです。

スズキも、1920年に織機メーカーとして創業されましたが、戦後に軽自動車の製造へと転換し、日本国内外で成功を収めました。特にスズキの軽自動車は、コストパフォーマンスと高い技術力で評価され、現在に至るまで多くの市場で支持を集めています。

これらの企業に共通するのは、創業者たちが持つ強い「起業家精神」と、地域に根付いた「挑戦の文化」です。

浜松市を象徴する起業家精神は、「やらまいか精神」に端を発します。この精神は、山葉寅楠本田宗一郎鈴木道雄などの企業創業者たちに強く反映されており、リスクを恐れずに新しい分野に挑戦する姿勢を表しています。

2)工業都市に発展した要因

浜松市が工業都市として発展した背景には、豊富な人材と創造的なエコシステムがありました。特に、浜松は長らく製造業の中心地として栄えてきたため、高度な技術力を持つ人材が集まりやすい環境が整っていました。さらに、1922年創立の浜松工業高等専門学校(現静岡大学工学部)など地域の教育機関との連携も産業の発展に寄与しています。

3. テクノポリス構想とその成果

1)テクノポリスの概要

①1980年代の「テクノポリス」構想の経緯

1980年代に、政府は「テクノポリス構想」を打ち出し、全国の地域に技術革新と産業の高度化を促進するための戦略を展開しました。この構想は、地域ごとに先端技術を活かした産業拠点を形成し、地域経済の活性化を図ることを目指したものです。浜松市は、その高度な製造技術と豊富な人材基盤を背景に、1983年にテクノポリス地域に指定されました。

浜松市は、楽器やオートバイといった伝統的産業に加え、光技術やメカトロニクス(機械と電子技術の融合)産業を育成することが目指されました。具体的には、1981年に設立された財団法人ローカル技術開発協会が中心となり、1982年には浜松地域新技術産業都市構想推進協議会が発足しました。この協議会は、浜松市を中心としたテクノポリス圏を構築し、光技術産業、メカトロニクス産業、ホームサウンドカルチャー産業、航空宇宙産業など、新たな技術産業を推進しました。

浜松市が選ばれた要因には、既存の製造業、特に自動車産業や楽器製造業に加え、光学技術や精密機器分野での強みがありました。これにより、地域全体での産業高度化と科学技術振興が推進され、浜松はテクノポリスとしての役割を果たしていくことになります。

②産業高度化と科学技術振興を目指した戦略

テクノポリス構想の下、浜松市では産業の高度化と科学技術の振興を目指した戦略が進められました。具体的には、大学や研究機関、企業の連携を強化し、新技術の研究開発を支援する体制が整備されました。テクノポリス計画の中核には、産学官連携がありました。例えば、浜松ホトニクス株式会社静岡大学浜松医科大学といった地域の企業・大学が協力し、新技術の開発と応用に取り組みました。これにより、浜松地域は光技術産業の集積地としての基盤を築き、後に続く地域イノベーションの基礎を固めました。

さらに、行政はインフラ整備や技術支援を通じて、企業の研究開発活動を支援しました。これにより、浜松市は日本のテクノポリスモデルの成功例の一つとなり、産業の多様化が進展しました。

2)テクノポリスが地域にもたらした影響

①光学技術、精密機器、ロボット工学分野の技術革新

テクノポリス構想の影響を最も大きく受けた分野の一つが、光学技術と精密機器の分野です。浜松ホトニクスは、1980年代以降、光学技術の研究開発に積極的に取り組み、医療用や産業用の光センサー技術において世界をリードする企業となりました。一例として、浜松ホトニクスが開発した光電子増倍管の技術は、1980年代から進められたテクノポリス計画の成果の一つです。この技術は、後にノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊東京大学名誉教授の「カミオカンデ実験」に使用されるなど、世界的に高い評価を受けました。浜松ホトニクスはこの成功を機に、光技術産業の世界的リーダー企業として成長し、地域経済に大きな影響を与えました。

さらに、ロボット工学の分野でも、産業用ロボットの開発が進展し、製造現場での自動化が促進されました。浜松市および周辺市に拠点を置く中小企業も、こうした技術革新に対応し、高度な技術力を持つ部品メーカーとして成長しています。

②研究開発施設の設立と企業間連携の強化

テクノポリス構想の一環として、浜松市には多くの研究開発施設が設立されました。代表的な例として、浜松繊維工業試験場と機械技術指導所を統合して設置された静岡県浜松工業技術センターが挙げられます。この施設は、地元企業や大学との連携を深め、新たな技術の開発や製品化を支援しています。特に、産学官連携による技術革新の推進が強調されており、企業間の連携も強化されています。

浜松市は、このようなテクノポリス構想を通じて、技術革新を地域の経済成長のエンジンとして活用し、企業間の協力を通じた技術交流を促進してきました。この連携によって、多くの革新的な製品が生まれ、浜松市の国際競争力が強化されました。

4. 産業クラスターの形成と発展

1)浜松市の産業クラスター

テクノポリス計画の終了後、浜松市は2000年代に産業クラスター計画に移行しました。これは、地域に存在する産業資源や技術を最大限に活用し、新たな産業分野の創出を目指すもので、浜松市は「三遠南信バイタライゼーション」という地域産業活性化プロジェクトに位置づけられました。このプロジェクトでは、光技術や輸送用機器産業が中心となり、産学官の連携を強化し、技術開発や新製品の創出が進められました。

この時期の代表的な事例として挙げられるのが、オプトエレクトロニクスクラスターです。2001年に文部科学省がスタートさせた知的クラスター創成事業の一環として、浜松地域は光技術を中心としたクラスター形成に取り組みました。このプロジェクトは、浜松ホトニクス、静岡大学、浜松医科大学を中心に、光技術の研究開発が進められ、地域における産学官連携がさらに強化されました。特に、光技術を医療分野に応用する「メディカルフォトニクス」プロジェクトが展開され、次世代の医療機器開発が進みました。

例えば、浜松ホトニクスは、光技術を活用した高感度イメージングセンサーや、がん診断に役立つPET(ポジトロン断層撮影装置)用検出器の開発を行いました。これにより、浜松市は光技術を基盤とした医療機器産業の集積地として国際的に注目を集めるようになりました。

さらに、2005年には浜松ホトニクスが中心となり中部電力、トヨタ自動車などの出資により、光産業創成大学院大学が設立されました。この大学は、光技術を中心とした高度な人材育成に特化しており、地域における産業競争力の強化に寄与しています。光産業創成大学院大学は、光技術関連のベンチャー企業の育成にも力を入れており、地域のスタートアップエコシステムの形成に貢献しています。

①輸送機器、精密機械、電子産業のクラスター形成

浜松市は、日本における製造業の中心地として発展を遂げてきました。特に、輸送機器、精密機械、電子産業の分野で強力な産業クラスターが形成されました。このクラスターは、主にスズキやヤマハといった大手企業を中心に構築され、地元の中小企業もこれらの企業と密接に連携する形で成長してきました。

例えば、スズキは小型自動車の世界的リーダーであり、2023年の連結売上高は約5.37兆円を記録しています。浜松ホトニクスの2023年の売上高は2,214億円に達しており、光学技術と電子産業のクラスターを牽引しています。

このような大手企業が、浜松市内の中小企業サプライチェーンを構築し、部品の製造や技術支援を行うことで、クラスター全体の競争力が向上していきました。浜松市における輸送機器産業のクラスターは、日本国内だけでなく、アジアやヨーロッパ市場への輸出も盛んで、地域経済に大きく貢献しています。

②地元中小企業と大手企業との連携

浜松市の産業クラスターの特徴の一つは、地元の中小企業が大手企業との連携によって成長してきた点です。例えば、精密機械産業の分野では、地元の部品メーカーが大手自動車メーカーの技術的な要求に応えることで成長し、独自の技術力を培ってきました。また、浜松の中小企業は、大手企業からの委託製造だけでなく、自らの技術開発を進め、国内外の市場に進出することにも成功しています。

2)産業クラスターがもたらす地域経済への影響

①企業間の知識共有と協力による競争力強化

浜松市の産業クラスターは、企業間の知識共有と協力を通じて、地域の競争力を飛躍的に強化しています。例えば、異なる分野の企業が共同で研究開発を行うことで、新しい製品や技術の創出が促進されています。こうした協力は、単なる取引関係を超えたパートナーシップへと進化し、クラスター全体の生産性と競争力を高めています。

②地域の産業基盤の強化と新たなイノベーションの創出

産業クラスターの形成は、地域の産業基盤を強化し、革新的な製品や技術の創出を促しています。浜松市では、技術革新を支えるインフラとして、研究開発施設インキュベーションセンターが設立され、地元企業の技術力向上と新規事業の育成が行われています。

このような環境下で、地元企業は大手企業との連携を活かし、新しいイノベーションを次々に生み出しています。特に、光学技術やロボット工学の分野では、産業クラスターの影響が顕著であり、地元経済の活性化に大きく寄与しています。

5. 地域イノベーションと持続可能な発展

1)地域イノベーションの推進

浜松市はテクノポリス構想を契機に、地域内での産学連携を強化し、静岡大学などの教育機関と地元企業の協力により、新しい技術の研究開発を推進しています。これにより、浜松市は次世代の産業クラスターを形成し、技術革新を活かした地域イノベーションが進展しています。

2011年以降、浜松市は地域イノベーション戦略支援プログラムを通じて、新たな産業の創出に取り組んできました。このプログラムでは、浜松市と東三河地域が連携し、光技術を活用した医療分野でのイノベーションを推進する「浜松・東三河ライフフォトニクスイノベーション」プロジェクトが進行しました。これにより、光技術の応用分野が広がり、特に医療分野での応用が加速しました。

例えば、静岡大学と浜松医科大学が共同で進めた次世代内視鏡開発プロジェクトでは、光技術を応用した新型内視鏡が開発され、低侵襲手術の実現に貢献しました。このプロジェクトは、産学官連携の成功例として高く評価され、国内外の医療機器市場での競争力強化につながりました。

2)浜松市の産学官連携ガバナンス

①浜松地域イノベーション推進機構の設置

浜松市における地域イノベーションシステムの特徴は、産学官連携によるガバナンスの強化にあります。浜松市や静岡県西部地域の産業振興を目的とした公益財団法人浜松地域イノベーション推進機構が、その中核的な役割を果たしています。この機構は、1981年にテクノポリス計画の推進機関として設立された財団法人ローカル技術開発協会を前身とし、1991年には浜松地域テクノポリス推進機構として再編されました。さらに、2012年には産業支援組織であるはままつ産業創造センターと統合し、現在の形態となりました。

浜松地域イノベーション推進機構は、地域の産学官連携を推進し、光技術や医療分野のイノベーションを支援しています。具体的には、浜松ホトニクスを中心とする光技術産業クラスターの振興や、新製品開発の支援、企業のマッチング、ベンチャー企業の育成などが行われています。浜松市は、政令指定都市としての裁量を活かし、独自の科学技術政策を展開しており、地域産業の競争力を強化しています。

また、浜松市はオープン・イノベーションを推進し、地域内外の企業や大学との連携を強化しています。2017年には、日本一の起業家応援都市宣言を行い、地域のベンチャー企業の育成や起業支援を強化しています。具体的には、ベンチャー企業向けのコワーキングスペースやインキュベーション施設の提供、資金調達支援などが行われており、地域のスタートアップエコシステムが構築されています。

②産学官連携によるスタートアップ創出

浜松市における地域イノベーションの大きな特徴は、大学、企業、自治体が一体となって新しいビジネスを創出しています。浜松市は、「はままつスタートアップ・サポートプログラム」として、地元中小企業やスタートアップに対する資金援助やマーケティング支援を積極的に行っています。「スタートアップ・インキュベーター」では、起業を目指す個人や企業に対し、資金調達、法務、マーケティング支援を提供しています。これにより、浜松は、若手起業家が活躍しやすいエコシステムを形成し、地域経済の多様化と発展を促進しています。

また、浜松は、東京や大阪のような大都市に比べて生活コストが安く、ビジネスの立ち上げやすさという面でも起業家にとって魅力的な場所です。このような環境が、地元の中小企業やスタートアップ企業の成長を後押ししています。

6. 浜松市の未来展望:技術革新と地域の強み

1)デジタル・スマートシティ構想

浜松市は、今後の産業構造の進化において、スマートシティ化デジタルトランスフォーメーション(DX)の導入を積極的に推進しています。特に、2020年代に入り、全国的なデジタル化の波に乗り、浜松市でも自治体や企業がDXに注力しています。たとえば、2021年には「浜松デジタル・スマートシティプロジェクト」が始動し、交通やエネルギー、医療などの分野でデータ活用を通じた効率的な都市運営が目指されています。

具体的には、交通インフラのデジタル化や、市民サービスのオンライン化を進めることで、都市全体の効率性を向上させ、持続可能な都市運営を目指しています。さらに、IoT技術やビッグデータ解析を活用し、エネルギー消費の削減や環境負荷の軽減を目指すグリーンテクノロジーの導入も進んでいます。

2)浜松市産業の課題

浜松市は、長年にわたり自動車産業や楽器産業、光技術産業に依存してきました。しかし、これらの産業は世界的な競争が激化しており、特に自動車産業はEV(電気自動車)化自動運転技術の進展に伴い、急速に変化しています。これにより、従来の内燃機関を中心とした技術に依存する企業は、競争力を維持するために技術革新が求められています。また、光技術産業においても、国際競争が激化しており、さらなる技術的優位性を確立する必要があります。

浜松市の産業構造は、現在では自動車産業のスズキが圧倒的な存在感をもっており、特定の分野に集中しているため、これを多角化し、他の成長産業へのシフトが求められています。例えば、エネルギー分野や医療機器分野、さらにはICT(情報通信技術)産業など、新たな成長領域への転換が課題となっています。

日本全体が直面している問題として、労働力の高齢化が挙げられます。浜松市も例外ではなく、特に製造業ではベテランの技術者が多く、彼らの引退後の技術伝承が課題となっています。若年層の技術者を育成し、地域に定着させるための取り組みが重要です。

一方で、若年層の都市部への流出も深刻な問題です。大都市圏の方が多様な就職機会や生活環境が整っているため、浜松市で育った若者が他の都市へ移住するケースが増加しています。これに対し、浜松市が持つ豊かな自然環境や高い生活水準を強調し、若い世代にとって魅力的な生活環境を整えることが求められています。加えて、ICTを活用したリモートワークの促進や、新たなベンチャー企業の支援を強化することで、若い人材の地域定着を図ることが課題です。

併せて、浜松市がイノベーション創出地域として国内外で認知されるためには、住環境の整備も重要です。高度なクリエイティブ人材を誘致し、定着させるためには、魅力的な都市空間の提供が不可欠です。

浜松市の地域イノベーションシステムは、光技術産業を中心に一定の成功を収めていますが、浜松市独自の技術的優位性を確立するためには、さらなる研究開発と技術力の強化が必要です。特に、静岡大学や浜松医科大学は全国的な大学ランキングで上位に位置しておらず、研究基盤の強化が課題となっています。

また、産学官連携の多層的な組織構造は、制度の重複や効率の低下を招く恐れがあります。今後は、より効率的なガバナンスシステムを構築し、地域内外の企業や研究機関が参加しやすい中間組織の設立が求められます。

3)浜松市が目指すべき戦略

①イノベーションを通じた地域振興の重要性

浜松市が持続可能な発展を遂げるためには、引き続きイノベーションを推進することが不可欠です。地域の大学、研究機関、企業が連携し、技術開発を行うことで、新たなビジネスチャンスや産業の多様化が生まれます。たとえば、浜松市では、ロボティクスなどの開発において産学官連携が進んでおり、新たな産業の柱として期待されています。

イノベーションの推進により、地域経済の振興が図られるだけでなく、若い世代の雇用機会の拡大や技術者の育成も促進されます。こうしたイノベーション主導型の地域振興は、浜松市が日本国内外で競争力を持つ都市として成長し続けるための重要な要素です。

②自治体、企業、市民が連携した持続可能な発展の推進

浜松市が未来に向けて目指すべき戦略は、自治体、企業、市民の連携による持続可能な発展の推進です。地域全体が一丸となって、エネルギー効率の向上や環境負荷の低減を目指すことが、長期的な地域の持続可能性を確保するために重要です。具体的には、再生可能エネルギーの利用拡大や、省エネ技術の導入が進められています。

さらに、地域コミュニティとの連携を強化し、地元の中小企業やスタートアップ企業が環境技術やスマートシティ関連のプロジェクトに参加することで、地域経済を支える新しい産業が生まれています。このような取り組みが、市民の生活の質を向上させ、持続可能な都市としての発展を支える基盤となっています。

7. まとめ

1)浜松市の産業の進化を支える要素の総括

浜松市の産業は、複数の要素が相互に作用しながら進化を遂げてきました。その中でも、起業家精神、テクノポリス構想、産業クラスター、そして地域イノベーションは特に重要な役割を果たしてきました。

①起業家精神

まず、浜松市の産業発展における根幹には、創業者たちの起業家精神がありました。ヤマハ、スズキ、ホンダといった世界的企業の誕生は、地域のビジネス風土を形成し、その精神は現在の中小企業やスタートアップにも受け継がれています。創業者たちは新しい市場を切り開き、リスクを恐れずに挑戦する精神を示し、それが地域全体の経済活性化につながっています。

②テクノポリスと産業クラスター

次に、1980年代にスタートしたテクノポリス構想は、地域の産業を科学技術の力でさらに高度化するための基盤を築きました。この構想により、研究開発施設やインキュベーションセンターが整備され、産学官連携を通じて新技術の開発が進められました。また、産業クラスターの形成も、地元中小企業が大手企業と連携しながら成長する場を提供し、これが浜松市の経済の持続的な成長を支えています。たとえば、スズキとそのサプライチェーンに属する中小企業の協力関係は、地域経済の強化に大きく貢献しています。

③地域イノベーションの推進

さらに、地域イノベーションの推進は、浜松市の将来的な発展に欠かせない要素です。テクノポリス構想をベースに、新たな産業分野やビジネスモデルが次々と生み出され、これが地域全体の競争力向上につながっています。特に、光学技術やロボット産業などの分野では、産業クラスターの中での協力が新たな技術革新を促し、地域の産業構造の変革を支えてきました。

2)浜松市の今後の発展

浜松市が今後も持続的な発展を遂げるためには、これらの要素をさらに発展させ、地域の強みを最大限に活かすことが求められます。特に、デジタルトランスフォーメーション(DX)スマートシティ化を推進し、環境負荷を抑えた産業の発展を目指すことが重要です。これにより、地域全体が持続可能な成長を実現し、国内外での競争力を高めることが可能です

今後も、浜松市は産学官連携を通じて技術革新を推進し、新たな産業の創出を目指して発展していくことでしょう。この歴史と精神は、次世代のイノベーションエコシステムを支える強力な基盤となり、浜松市をさらに成長させる原動力となることが期待されます。

図1 浜松地域の産学官体制の構築(2019年まで)

【参考文献】

<書籍>

鈴木康友(2024)『市長は社長だ 浜松市が1314億円の借金を返せた理由』PHP研究所

・元浜松市長(現静岡県知事)が、自身が取り組んだ地域創生の取り組みについて書いた本です。

松立学 他(2017)『地域批評シリーズ16 これでいいのか静岡県浜松市』マイクロマガジン社

・静岡市への対抗心や浜松市の魅力を辛口に批評しています。

坂本光司・南保勝(2005)『地域産業発達史』同友館

・一つの章では浜松市がどのように産業を構築して発展させていったのかを歴史的に説明しています。

浜松信用金庫・信金中央金庫総合研究所(2004)『産業クラスターと地域活性化』同友館

・産業クラスターの取り組みの初期の状況が詳しく書かれています。

與倉豊(2017)『産業集積のネットワークとイノベーション』古今書院

・一つの章では浜松市のクラスターの様子が詳しく分析されています。

佐藤正志(2018)「複合工業地域:静岡県浜松地域」 松原宏 編『産業集積地域の構造変化と立地政策』東京大学出版会:203-232

・一つの章では地域イノベーションにより産業集積の転換を図る状況を分析しています。

長山宗広 他(2020)『先進事例で学ぶ 地域経済論×中小企業論』ミネルヴァ書房

・一つの章では浜松の地域イノベーションシステムについて解説しています。

<論文>

岡本信司(2007)地域クラスターの形成と発展に関する課題と考察―浜松地域と神戸地域における比較分析―、研究 技術 計画、22(2):129-145

鈴木茂(1997)浜松テクノポリス―内発型テクノポリスの可能性―、熊本学園大学経済論集、4(1・2):23-48

<Web>

浜松市|産業振興課|浜松ものづくり産業の歴史

浜松商工会議所|浜松の産業の歴史

成和第一産業株式会社|浜松産業史

タイトルとURLをコピーしました