
はじめに
私たちは毎日、意識しないままデジタル経済の中で生活しています。朝、スマートフォンで天気を確認する。電車の中でSNSを見る。検索エンジンで店を探す。オンラインショップで商品を購入する。地図アプリで目的地までの経路を調べる。動画を視聴する。そして最近では、生成AIに文章の作成や情報整理を依頼することも珍しくなくなりました。
企業活動でも同じです。商品の販売、広告、決済、物流、顧客管理、設計、研究開発など、あらゆる場面でデジタル技術が使われています。
では、こうした「経済のデジタル化」が進んだ状態を、そのまま「デジタル経済」と呼べばよいのでしょうか。
本記事では、もう少し踏み込んで考えます。
デジタル経済の本質は、単にコンピュータやインターネットを使うことではありません。重要なのは、データを収集し、それを演算によって価値へ変換し、ネットワークを通じてその価値を広げるという、新しい価値創出の仕組みが経済の中核に入り込んだことです。
本記事では、この仕組みを「データ」「演算」「ネットワーク」という三つの要素から考えていきます。
1 情報経済からデジタル経済へ――何が変わったのか
現在のデジタル経済は、突然現れたものではありません。その原型は、コンピュータとインターネットが普及した1990年代の「情報経済」「ネットワーク経済」にあります。
当時注目されたのは、情報をデジタル化すれば、ほとんど追加費用をかけずに複製し、世界へ流通させられることでした。シャピロとバリアンは『ネットワーク経済の法則』で、こうした情報財の特徴に加え、ネットワーク効果やロックインを論じました。
またW・ブライアン・アーサーは、ハイテク産業では収穫逓増や正のフィードバックが働き、普及した技術がさらに普及する自己強化が生じることを指摘しました。
つまり、収穫逓増、ネットワーク効果、経路依存、ロックインという現在のデジタル経済を動かす原理は、すでに1990年代に議論されていました。
大きく変わったのは2000年代以降です。Google、Amazon、YouTube、SNS、スマートフォンなどが普及すると、インターネットは情報を「見る場所」から、人々が買い物をし、検索し、交流する経済活動の場へ変わりました。そして、そこで行われる活動そのものがデータとして蓄積されるようになります。
さらに、Google、Amazon、Appleなどのプラットフォームが、消費者、販売者、広告主、開発者などを結びつけ、その活動を組織するようになりました。ニック・スルニチェクが『プラットフォーム資本主義』で論じたように、データを継続的に取得できるプラットフォームは、21世紀の重要なビジネスモデルとなりました。
そして2010年代以降、クラウド、ビッグデータ、GPU、AIが発達すると、「演算」の重要性が急速に高まります。大量のデータを保有するだけでなく、それを大規模な計算能力によって分析し、検索、推薦、予測、生成へ変換する能力が競争力になりました。
したがって、この30年間の変化は、情報経済→ プラットフォーム経済→ データ・AI経済という発展として捉えることができます。
ただし、古い経済が新しい経済に置き換えられたわけではありません。情報経済の上にプラットフォーム経済が形成され、その上にデータ・AI経済が積み重なったと考える方が適切です。
1990年代の情報経済が「情報の生産・複製・流通を変えた経済」だったとすれば、現在のデジタル経済は、データ・演算・ネットワークを基盤として、企業、市場、資本、権力、さらには経済地理まで再編する経済へと発展しました。
2 「経済のデジタル化」と「デジタル経済」は違う
まず、「経済のデジタル化」と「デジタル経済」を区別しておきましょう。
たとえば、飲食店が紙の予約台帳をオンライン予約システムへ変更する。小売店がキャッシュレス決済を導入する。企業が紙の書類を電子化する。これらは、従来から存在していた経済活動にデジタル技術を導入した「経済のデジタル化」です。
しかし、デジタル経済では、デジタル技術そのものが価値を生み出す仕組みの中心になります。
Googleの検索サービスを考えてみましょう。利用者が検索語を入力すると、その行動がデータになります。大量のデータをアルゴリズムが演算し、利用者に適した検索結果を表示します。そして、その結果はインターネットというネットワークを通じて利用者へ届けられます。利用が増えれば、さらに新しいデータも生まれます。
つまり、デジタル経済では、データが価値創出の「入力」となり、演算がデータを「価値へ変換」し、ネットワークが生み出された価値を社会へ「流通・拡張」します。
そこで本記事では、デジタル経済を次のように捉えます。
「デジタル経済とは、データ・演算・ネットワークを基盤として価値を創出し、その価値を社会に広く流通させる経済である。」
重要なのは、「デジタル」を単なる技術ではなく、データ→演算→ネットワークという新しい価値創出の仕組みとして捉えることです。

図 デジタル経済の3つの要素
⇒「そもそもデジタルとは何か?」を知りたい方はこちら。
AI、クラウド、プラットフォーム経済を通して、現代のデジタル社会の仕組みをわかりやすく解説しています。
「デジタルとは何か?AI・クラウド・プラットフォーム経済でわかる現代社会のしくみ」
3 データ――人間の行動が経済資源になる
第一の要素がデータ(data)です。
データそのものは、デジタル時代になって突然登場したわけではありません。
企業は昔から売上、在庫、顧客などを記録してきました。銀行は預金や融資の記録を蓄積してきました。政府も人口、雇用、所得、産業などについて統計を作成してきました。
大きく変わったのは、データを取得できる範囲、量、速度、そして細かさです。
スマートフォンを利用すれば、検索、閲覧、購買、位置などに関するさまざまなデータが生まれます。
SNSでは、「何を見たのか」「何をクリックしたのか」「何に反応したのか」といった行動が記録されます。
Netflixのような動画配信サービスでは、何を視聴したのかだけでなく、視聴行動に関するデータをサービス改善などに活用できます。
さらに、工場の機械、自動車、物流設備、家電などがネットワークにつながれば、人間の行動だけでなく、モノの状態や動きもデータ化されます。
つまり、デジタル化によって、現実世界の活動 → データという変換が、かつてない規模で行われるようになりました。
デジタル経済においてデータは、経済活動の「結果」として残る記録だけではありません。次の価値を生み出すために利用できる経済資源になっています。
ただし、データを大量に集めれば、それだけで価値が生まれるわけではありません。
大量の数字や文字列を保存しているだけでは、それは単なる情報の集積にすぎません。
そこで必要になるのが「演算」です。
4 演算――データを経済価値へ変換する
第二の要素が演算(computation)です。
ここでいう演算とは、単なる数値計算を意味するものではありません。コンピュータによってデータを処理し、検索、分類、分析、予測、最適化、生成などを行うことを広く意味します。
本記事で「計算」ではなく「演算」という言葉を使うのは、単なる数値処理だけでなく、検索、推薦、予測、生成まで含む広い情報処理を意味するためです。
Googleで何かを検索すると、膨大な情報の中から検索意図に対応する情報が選び出されます。
Amazonでは、多数の商品や利用者に関する情報を処理し、商品検索や推薦などが行われます。
物流企業では、膨大な注文や交通情報などを処理して配送経路を効率化できます。
そして生成AIでは、この「演算」の重要性がさらに分かりやすくなっています。OpenAIのChatGPTをはじめとする生成AIは、大量のデータから学習したモデルと大規模な計算能力を利用して、文章、画像、プログラムなどを生成します。
ここでは、データ → 演算 → 新しい情報・サービスという価値創出が行われています。
したがって、データを「原料」にたとえるなら、演算は原料を価値あるものへ変換する生産能力と考えることができます。
ただし、演算は空中で行われているわけではありません。アルゴリズムやソフトウェアだけでなく、半導体、サーバー、データセンター、電力、そしてそれらを開発・運用する人材が必要です。
デジタル経済が発展するほど、「演算する能力」そのものが重要な経済資源になっていきます。
⇒では、この「演算」は実際にはどこで行われているのでしょうか。クラウドとデータセンターを「データ工場」として捉えると、AI時代の価値創出の仕組みが見えてきます。詳しくはこちらの記事で解説しています。
クラウドの正体は「データ工場」である――AI時代の新しい資本循環
5 ネットワーク――価値を一気に広げる
第三の要素がネットワーク(network)です。
データを収集し、それを演算によって価値へ変換できても、その価値を利用者へ届ける仕組みがなければ、巨大なデジタル経済は成立しません。
そこで決定的な役割を果たしたのがインターネットです。ネットワークによって、世界中の人、企業、コンピュータが接続されるようになりました。
ここには二つの重要な意味があります。
一つは、データを移動させられることです。
東京にいる利用者がスマートフォンから入力した情報がネットワークを通じて送られ、データセンターなどで処理され、その結果が再び利用者へ返されます。
もう一つは、市場を急速に拡大できることです。
たとえば、自動車会社が海外市場へ進出するためには、販売網、物流網、場合によっては現地の生産設備などを整備する必要があります。
これに対してデジタルサービスの場合、一度開発したソフトウェアやオンラインサービスを、ネットワークを通じて多数の地域の利用者へ提供できます。
Spotifyのような音楽配信サービスも、店舗を一都市ずつ開設して音楽を販売しているわけではありません。デジタルネットワークを通じて、多数の市場へサービスを提供できます。
つまりネットワークは、情報を運ぶインフラであると同時に、市場を拡張するインフラでもあるのです。
6 「データ・演算・ネットワーク」は循環している
ここまで、「データ」「演算」「ネットワーク」をそれぞれ説明してきました。しかし、デジタル経済を理解するうえで重要なのは、この三つが別々に存在するのではなく、互いに結びつきながら循環していることです。
TikTokで動画を見る場面を考えてみましょう。利用者が動画を見ると、どの動画を見たのか、どのくらいの時間見たのか、どの動画を最後まで視聴したのか、「いいね」やコメント、共有をしたのかといった行動がデータとして蓄積されます。
TikTokは、こうして生まれた大量のデータを演算し、利用者がどのような動画に関心を持つ可能性が高いのかを予測します。その結果にもとづいて、一人ひとりに異なる動画が「おすすめ」として表示されます。
そこで生み出された推薦という価値は、インターネットというネットワークを通じて利用者へ届けられます。そして、利用者が新しく表示された動画を見たり、スキップしたり、「いいね」を押したりすると、その行動から再び新しいデータが生まれます。そのデータが次の推薦に利用されることで、サービスは利用者の関心をさらに学習していきます。
つまり、利用→データ→演算→情報・予測・サービス→ネットワーク→利用→新しいデータという循環です。
このようにデジタル経済では、サービスが利用されること自体が新しいデータを生み、そのデータが次の価値創出に利用されます。利用が増えるほどデータが蓄積され、そのデータを演算することでサービスが改善され、さらに利用を促すという自己強化的な循環が生まれます。

図 デジタル経済の循環図
工業経済では、自動車を一台販売したからといって、その自動車が次の自動車をつくるための情報を自動的に大量に生み出すわけではありません。
ところがデジタル経済では、サービスの利用から生まれたデータを、次の検索、推薦、予測、サービス改善などに利用できます。
「利用が次の価値創出につながる」――ここに、デジタル経済に特徴的な循環構造があります。
デジタル経済とは、データ・演算・ネットワークが循環し、利用そのものが次の価値創出を生み出す経済です。
7 デジタル経済は「物質のない経済」ではない
産業革命以降、企業の競争力を左右してきた重要な要素の一つが生産能力でした。
工場を建設し、機械を導入し、原材料を調達し、労働者を雇用する。そして、大量の商品を効率的に生産する。自動車産業や鉄鋼業は、その典型です。
単純化すれば、工業経済における価値創出は、原材料 → 加工 → 製品という流れで捉えることができます。
これに対してデジタル経済では、別の能力の重要性が高まっています。それが、現実の活動から情報を取得し、それを処理して価値へ変換する能力です。
こちらも単純化すれば、活動 → データ → 演算 → 情報・予測・サービスという価値創出の仕組みとして捉えることができます。

表 工業経済とデジタル産業の比較表
ただし、これは「工業経済が終わり、デジタル経済に置き換わった」という意味ではありません。
スマートフォンには半導体が必要です。クラウドにはサーバーやデータセンターが必要です。AIにはGPUなどの計算装置と大量の電力が必要です。インターネットにも光ファイバー、基地局、海底ケーブルなどの物理的なインフラが欠かせません。
つまり、デジタル経済は物質から解放された経済ではないのです。
むしろ、工業経済が築いてきた物理的な生産基盤の上に、「情報を処理して価値を生み出す経済」が新たな層として重なったと考えた方が適切でしょう。
この物理的基盤の存在は、「デジタル経済は場所をなくすのか」を考える際にも重要になります。
では、このデータ・演算・ネットワークの循環を、誰が組織しているのでしょうか。現在、その中心的な役割を担っているのがプラットフォーム企業です。次回は、なぜプラットフォームがデジタル経済の中心となったのかを考えます。
まとめ――デジタル経済とは何か
以下3点をまとめとして挙げます。
- デジタル経済は単なる「経済のデジタル化」ではない
- データ・演算・ネットワークによる新しい価値創出の仕組みである
- 利用が新しいデータを生み、自己強化的な循環が形成される
つまり、デジタル経済の本質は、単に経済活動がオンライン化したことではありません。データを集め、演算によって価値へ変換し、ネットワークを通じて広げ、その利用から再びデータを生み出す循環が形成されたことにあります。
参考文献
カッツ・シャピロ、ハル・R・バリアン(1999)『ネットワーク経済の法則』千本倖生監訳、宮本喜一訳、IDCジャパン
ブライアン・アーサー(2003)『収益逓増と経路依存―複雑系の経済学』有賀裕二訳、多賀出版
ニック・スルニチェク(2022)『プラットフォーム資本主義』大橋完太郎、居村匠訳、人文書院
